夫の後始末
文章作成者
安藤圭祐
遺品整理いう仕事は、そのほとんどの場合の依頼者は亡くなられた故人のご家族である。
この本は作者が夫の介護人として約1年半寄り添ってきた、とてもリアルな介護日誌であり、夫を亡くした後の家庭の状況や自身の心境をありのままに綴ったエッセイでもあります。
今は核家族化が進んでおり、ご多聞にもれず私も祖父、祖母とはほぼ一緒に生活をしていないので、家族の介護というものを経験したことがなかったので、「そういう心境にになるんだ!?」というような擬似体験的な見方でしたが、ご家族の介護経験がある方は『共感』で読み進められるのではないかと思います。
作中で私が改めて知ったことや、感じたこと、遺品整理業を運営していく上で絶対的に必要な、家族を亡くした遺族の方の心境を察するためのヒントになったことをまとめようと思います。
◯高齢になると必ずつきまとう認知症の不安。
今まであなたはそんな知識も無かったのか!?と周りに怒られてしまいそうですが、認知症が近過去から忘れていくということを知りました。
近過去から忘れていくというのを見て、ハッとしたのですが、祖母が晩年に父親の名前はすぐ出てくるが、私の名前が思い出せないようで、毎回思い出してもらうまで苦労しました。
近過去から忘れていくというのは、介護をする人の立場からすると、同じ説明を繰り返して、説得をするという行為を毎日行うことになってしまうと思うので、かなり精神的にも大変な状況が想像できます。
「いい加減でいい」ということの難しさ。
作中に『いい加減なくらいでいい!』という話があり、老人介護のいい加減は手抜きを意味するという話があったのですが、筆者は『いい加減』の本来の意味(風呂のお湯でいういい湯加減というような、本当に適切で心地よい範囲)を考えてしまったと書いていたが、難しく考えないで少し手抜きをしようというくらいの気楽な感じでないと、コン詰めてしまい、良い介護が出来ないとも書いてありました。
◯難聴の寂しさ
「体が弱ってくると人は普通テレビを見て過ごしていると思う人が多いが、難聴になる人が多く音声が聞き取れないので、普通あまりテレビを見ている人は少ない。」という内容があった。
難聴になるとあらゆる情報から取り残され、感情の喜怒哀楽も少なくなり、気力が衰えてきて、「とにかく今日はもう寝よう」となることが多いらしい。
そして、介護する側も大声を出すことに疲労する。
なんとも寂しいようにも感じた。
難聴予防には頭の血流を良くしておくことが重要らしい。
◯決めておく、準備しておく
老人は誰もがもっと謙虚に自分がさらに年を取り、目が見えなくなったり、足が動かなくなったり、手の指が使えなくなった時、自分がどう対処するのか、考えうる限り決めておくべきだと筆者が主張していたが、遺品整理業をしていてもそれは強く感じるところがある。
というのも、晩年を非常に辛く生活しづらい環境で過ごしていたのだろうと感じる故人が多く、やはり人生の最後は穏やかな気持ちで迎えたいと自分なら思うからである。
なので、もしもの時の環境整備や、助けとなってくれる人に頼ることなど、さまざまな準備は欠かせないものだと思う。
◯まず健康意識を
筆者もやはり元気な時からの健康対策が非常に重要だと言っていて、こまめに体を動かしておくべき、健康診断は毎年行くべきと言っている。
当たり前だが、自分も家族も、会社の仲間にも、周りのすべての人に呼び掛けていきたいと感じた。
◯国による制度の違い
アフリカでは救急車が有料らしい。
もし救急車を呼んだけど、払えなければ病院に運んでももらえなくて、費用を親族からかき集めてこい!と言われるらしい。
それはできないと伝えると、その場で降ろされてしまうようである。
自分は本当に恵まれた環境の国に生まれたのだと実感した。
◯介護に最も必要なのは腕力である
筆者曰く、介護に最も必要なものは優しい気持ちでも確かな知識でもなく(もちろんそれは必要だが)、最終的には腕力であると言っているのがすごく腑に落ちた。
自社のグループ会社で訪問の介護・福祉を行なっているが、スタッフはやはり体力勝負な部分があると思う。
自分の体が良くない状態では人の介護などできるわけもなく、最近の老々介護という話がすごく心配になる。
◯奉仕とは
「奉仕とは被災地の瓦礫の片付けに行ったり、老人ホームの庭掃除に行ったり、花を植えるようなことをいうのではない。そういう行為は提供する人の自己満足の場を探しているという人さえいる。
奉仕の語源のディアコニアという語源から『人の排泄物を世話する』ということなのだ。看病とは、つまり看取りを行うこと、看取りの基本は排泄物の世話をすることなのだ。」
この言葉は本当に奉仕ということの忠実な意味を語ってくれていると感じた。
◯死に対しての納得と許可
作中で夫の死亡を確認した後に、
「夫の命が深い納得と許可の元にしっかりと神の手に受け取られた」という表現をしていたが、こういう事を言えるのは、亡くなった人が十分に幸せな人生を歩んできたと思える上に、自分ができることはしてあげたという想いがあったからだと感じた。
自分もそう感じる人生にしたいし、家族にその時がきたら、そう感じて逝けるように環境を整えてあげて、不自由が少なく穏やかな気持ちになってもらえるように努めたい。
◯晩年でパートナーが亡くなること
「夫が亡くなっても生活は以前とあまり変わりなく感じる」という表現がリアルだったが、私が話した人生の伴侶を失った方々もそういうことを言われる人が多かった。
年齢など、人生のどのステージなのかによっても違うと思うが、奥様に頼りきりの生活だった男性を除いては、晩年でのパートナーとの死別に対しては意外とそう話す人が多い。
◯人間はどんな苦痛でもいつか忘れる
これは本当に大事なことで、死別以外のことのためにも覚えておきたいが、人間はどんなに辛いことがあってもいつかは過去のこととして、しっかり現実に帰ってこれるらしい。
なので、どんなことが起ころうと、なんとか耐えて霧が晴れるのを待とうという考えを頭に強くしまいこんでおこうと思った。
遺品整理業で自分たちが最も大事にしていることは依頼者(そのほとんどが故人の遺族)に寄り添うことであり、遺族のさまざまな想いを知ることがやはり大事なことと再確認できる、読むべき内容の作品でした。